2010年7月28日(水) 東北旅行-4 平泉 中尊寺金色堂

東北旅行の4日目は平泉の中尊寺。国宝建造物第1号の金色堂や重要文化財の数々を見学してきました。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」の世界です。

(写真はEOS40D+EF70-200mm F4L IS USM、EF-S17-55mm F2.8 IS USM)


五月雨の 降りのこしてや 光堂

EOS40D+EF-S17-55mm f/2.8 IS USM  F5.6 Auto -1/3EV






中尊寺ハス





11世紀後半。みちのくには京都以上に絢爛豪華な都があった。
それが、奥州藤原氏の平泉。
初代藤原清衡から四代泰衡まで続いたが、1189年、源頼朝に滅ぼされ、約100年の歴史の幕を閉じた。
今日は、その平泉の中でも最も有名な中尊寺に観光きた。
中尊寺は、嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開基した天台宗の寺院で、建立時は関山弘台寿院と号したが、貞観元年(859年)に中尊寺と改めたという。
奥州藤原氏初代清衡は、この基盤の上に長治2年(1105年)、前九年・後三年の役で亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手した。
寺堂の規模は、鎌倉幕府の公的記録『吾妻鏡』によると、「寺塔の数が40以上、禅坊(僧房、僧の宿舎)が300以上」であったといわれている。
鎌倉時代以降、次第に衰退してきた中尊寺は、建武4年(1337)の火災で多くの堂塔、宝物を焼失したが、今なお国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、国宝・重要文化財を3,000点以上も伝えており、東日本随一の平安仏教美術の宝庫とされている。



讃衡蔵(さんこうぞう)

中尊寺の境内に入って、まず最初に入ったのが讃衡蔵。
讃衡蔵(さんこうぞう)は、中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝えるため、2000年に新築された宝物館である。
館名の讃衡蔵とは、「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵」という意味だそうだ。
現存する、3,000点以上の国宝・重要文化財のほとんどがここに収蔵されており、仏像・経典・奥州藤原氏の副葬品など、貴重な文化財を拝観することができる。


お散歩中のワンちゃん 暑くてグダグダ〜




気持ちいい〜

讃衡蔵の見学を終えて外に出ると、表通りのところにお散歩中のラブラドールがいた。
犬好きの優ちゃんは、さっそく近づいていった。
おとなしくて頭のいい犬種だということもあるけれど、頭をなでてやると、なすがままの状態。
そのうち、優奈の足の上に頭をもたれかけて甘えたポーズ。
ホントに可愛いねぇ。

なつかれちゃった




金色堂

ワンちゃんに別れを告げて、いよいよメインイベントである、金色堂に向かう。
金色堂は、天治元年(1124)に上棟された中尊寺の堂塔の中で唯一、創建当時の姿を今に伝える建造物。
堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂であり、お堂そのものが国宝とされている。








お堂の中は撮影禁止であるため、写真がありません。残念です。
金色に輝く仏像は中尊寺の公式ホームページで
仏像は、ご本尊が阿弥陀如来で、向かって右側に観音菩薩、向かって左側には勢至菩薩(向かって左)。
左右の両端には3体ずつ地蔵菩薩が1列に並ぶ。向かって右側は最前列に持国天像が、左側は増長天像があり、破邪の形相でこの仏界を守護しているとされる。
この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ないそうだ。



経蔵

以前は、文字通り経典が保管されており、国宝「紺紙金字一切経」を納めた経箱が並べられていたが、今は讃衡蔵に移された。
この経蔵も、国の重要文化財に指定されている。

経蔵は、中尊寺金色堂の西北に隣接し、「中尊寺供養願文」によると天治3年(1126)頃の建築とされている。
中尊寺所蔵の経典を貯蔵するお蔵であるので「経蔵」という。
創建時は二階瓦葺きだったのが、建武4年(1337)の火災でその二階が焼失、後々修理を重ねて現在は銅板単層の建物となったそうだ。




旧覆堂



松尾芭蕉が平泉を訪れた1689年当時は、この覆堂が金色堂を護っていたのだろう。
現在の覆堂と違って、照明設備のない昔の覆堂では室内は薄暗かったことだろうが、それでも松尾芭蕉は光り輝くと感じたのだろう。
昭和38年に新鞘堂が建設されたため、役目を終えてこの位置に移築されたそうだ。

旧覆堂は、その名のとおり金色堂を「覆っていた」お堂。
案内板によると、金色堂を風雪から護るため正応元年(1288年)に鎌倉幕府によって建てられたとされている。
五間(約9m)四方の堂で、古くは「鞘堂」と呼ばれていた。

芭蕉の句碑




月見坂

中尊寺の表参道を月見坂という。
道の両側には、江戸時代に平泉を治めていた伊達藩によって植樹された樹齢300〜400年ほどの杉の並木が続き、歴史の長さを物語っている。
ママと優ちゃんが木陰で休んでいる間に、パパだけで他の建造物を見て回ることにした。
それぞれの支院にはさまざまな由来があり、古い歴史がある。しかし、その多くは火事などの災害にあって一度消失し、その後に再建されたものであるらしい。
それでも、十分に歴史を感じさせる趣があった。


阿弥陀堂 鐘楼


大日堂
峯薬師堂 目にご利益があるらしい

↑ここにケロっとカエルの石像

不動堂


本堂の門

不動堂は、中尊寺の祈祷道場。
ご本尊の不動明王は、右手に宝剣を持ち、どんな邪悪をも切って破ると言われる。
一方、左手の羂索(ロープ)は、救いを求める人を搦めてすくい上げるという姿を示している。
お不動様として親しまれる仏様です。

「中尊寺」というのはこの山全体の総称である。
本寺である「中尊寺」と山内17カ院の支院(塔頭、大寺の中にある小院)で構成されている一山寺院。
その中で本堂は、一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されたものである。
表参道である月見坂に面して本堂の門があり、ここをくぐって中に入ると中尊寺の本堂がある。
他の大きなお寺の門とは違い、お城の門によく見られる薬医門という形式で、前面のひさしが深いのが特徴である。
松尾芭蕉が 『奥の細道』 の旅で訪れた際、中尊寺があまりにも荒廃しているのを見て嘆いたと言われる。
その後は、伊達氏の庇護を受けて、ようやく復興の道を歩み、1909年、現在の本堂が再建された。
中尊寺の宗派は天台宗で、寺格は別格大寺、東北大本山の称号を許されているそうだ。本尊は阿弥陀如来。




本堂






一通り境内の中の観光は終了。優ちゃんもソフトクリームを食べ終わったようだ。
それでは次の目的地に向かおう。





厳美渓



続いて向かった先は厳美渓。
栗駒山を源流として一関に流れてゆく磐井川の中流域にあり、国の名勝、天然記念物に指定された景観である。
東北仙台藩主となった伊達政宗も、「松島と厳美がわが領地の二大景勝地なり」と賛美したといわれる。



空飛ぶだんごの店 「郭公屋」

厳美渓には何故か団子屋さんが多いのだが、中でも郭公だんごは、「空飛ぶだんご」として名物となっている。
渓谷の休憩所からワイヤーロープでつないだ籠に代金を入れて合図の板を叩くと、渓谷を挟んだ対岸の店が注文を聞いて、だんごと茶を提供してくれるというものである。
味はどうか分からないけれども、これだけ有名なのだから注文しないと、と思っていたら、なんとこの日はお店が休みだという。
籠が飛んでくるところを見たかったのに、残念。
やむなく、近くのお団子屋さんで普通に食べました。


厳美渓の下流方向

さて、いよいよ今晩の宿が東北旅行最後の宿泊。
さすがに4泊5日は長かったかな。
優ちゃん、ちょっと飽き気味・・・

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